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欧州チャンピオンであるUEFAチャンピオンズリーグ優勝クラブと、南米チャンピオンである
リベルタドーレス杯優勝したクラブとで文字通りのクラブ世界一を争う大会。正式名称を
「トヨタ・ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ」といい、選手や関係者からは「インターコンチ
ネンタル・カップ(大陸同士の争い、程度の意)」という通称で呼ばれる事が多い。
開始当初「ヨーロッパ/サウスアメリカカップ」と呼ばれていたその大会は、1960年、第一回の
リベルタドーレス杯と同じ年に始まった。そこから、第一回のトヨタ・カップが行われる1981年
まで、大会の形式は双方のホームで1試合ずつ行うホームアンドアウェーというものであった。
しかし元々ライバル心が強い両者の間にはサポーター同士のいざこざが絶えず、それは年を追うごとに
激しさを増していった。遂には中止になる年も出るなど、大会そのものの存続も危うくなる。
そこで考えられたのが試合会場を中立国に移す、ということであった。そしてその国に
日本が選ばれ、大会のメインスポンサーであったトヨタ自動車からその名がつけられた。
日本人には特にお馴染みの大会であり、このようなハイレベルな大会が見られるというのは
非常に喜ばしい事であるが、特に欧州の選手達にとってはほとんどお祭りのようなもので、
やはり「チャンピオンズリーグの制覇=クラブチーム世界一」という認識が強い。少なくとも
「トヨタカップに出るために行うのがチャンピオンズリーグ」と思っている人はヨーロッパには
一人もいない。
それでも勝つと大喜びし、負けるとがっくりと肩を落とすのはやはりその出場条件の厳しさと一回勝負という
特性からであろう。
実はFIFA非公認の大会であることや、現役時代にMVPで車をもらったジーコがその後10年以上
に渡ってその車に乗り続けていたというのは有名な話。
出場できるのが欧州と南米のクラブのみ、という条件は当時のサッカーの勢力図からして
至極当然の事であった。しかしその地図も徐々に移り変わってきた頃、FIFAが「世界クラブ選手権」
構想を発表、設立した事により「トヨタカップ」はその存続意義を問われる事となる。
そして2004年の第25回大会。様々なドラマを生み出したトヨタ・カップはFCポルトの優勝を
もってその歴史に幕を閉じた。
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